2006年07月18日
日本酒はなぜ日本酒ではなくて地酒なのか
「酒」というのは、お米が基本。
だからよいお米作りがよいお酒造りの基本・・・という蔵元もあったりする
今日この頃ですが、なぜ日本酒は、日本酒ではなくて地酒なのか。
日本全国津々浦々いろんな方が住んでおられ、農業にいそしま割れているところがあります。
人間が食べるお米で有名なのは
「こしひかり」「ささにしき」「あきたこまち」
などですが、どれも、その土地にあった気候で育つように改良を重ねてくるわけですね。
もちろん、お酒に使う酒米もそれがいえるかと。
その土地ではぐくんだ自然と、人間の英知が重なって、今の「酒造好適米」
があるのだろうと
思います。
この飛騨地域では、
ひだほまれ・ひだみのり
というこの2種類が酒造好適米です。
この米は、飛騨地域での酒の製造だけでなく、他地域の酒の製造にも使われているようです。
●華吹雪
●美山錦
●五百万石
●若水
●山田錦
●ひだほまれ
●ひだみのり
●北陸12号
●雄町
●八反錦
●たかね錦
●フクノハナ
●豊盃
大まかなものでもこれだけ以上のものがあります。
最近の改良品種だけでもかなりの種類が出されているようですよ。
山形県方面の、「出羽燦々」がよく聞く名前のひとつです。
こうした、米の違いでお酒を楽しむというのもなかなか面白い発見があるかもしれません。
投稿者 nao : 03:05 | コメント (0) | トラックバック
2003年01月01日
不景気を作り出してはいないか?
あなたは、(例えば)5000円の酒を高いと感じ、1000円の酒を安いと感じて買ってきて、
5本分の酒を飲むのにどれぐらいの時間がかかりますか?せっかくなんだから納得の行く買い物を。
なぜそういうことを言うのかというのは、半額になった酒を2つ買って、同じ期間内に、
倍の量を飲むことができるだろうか、ということだ。ほとんどの方は「それは無理だ」という方が
多いと思う。
美味しいと思った商品がたまたま安かったのであれば、それはラッキーだろうけれども、
ただ値段が安いというだけで、飲みたくもないものを飲むというのはどうだろう?
不景気だといわれてすでにかなりの時間が過ぎているけれども、
あなたはまさか自分で不景気を作り出してはいないだろうか?
価格破壊・激安という言葉があちこちで聞こえるようになって、
今では氾濫、どこもかしこもこの言葉を使うようにさえなってきている。
不景気だからこそ、価格が安くなることは大歓迎・・・とも言われることはよくあるけれども、
果たしてそれが本当に大歓迎なのだろうか?
「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉はご存知かと思うけれども、
これと同じように当てはめてみると、
(買う側)
値段が安くなる→うれしい→家計費が助かる→
へそくり・貯金→旦那の給料が減ってくる→家計を圧迫する→値段だけで安いものを買う→
値段が安くなる
(売る側)
値段が安くなる→売れるが儲けは薄い→薄利多売→売れる数に限界が見える→
儲からなくなる→まずます生産する(忙しくなる)→売れなくなり不良在庫となる→
売るためにさらに価格を破壊する(さらに儲からなくなる)→ますます給料が減る→
奥さんの小言が増える(家計が縮小される)→値段が安くなる
どこも儲かっていないわけではない。トヨタが過去最大に増収増益を記録したことは
記憶に新しいことではあるが、儲かっている会社はある。今でも十二分に儲かっている人はいる。
自ら首を絞めるようなことだけはしたくない。ただ安いと単純に喜んでいるのは
もう過ぎているのではないか、ただ値段だけで安物を買うことによって、
旦那さんの給料は減らされているのかもしれない。ディスカウントショップが
もてはやされているうちは不景気も回復しないのだろうなあとも思う。
(このコラムだけに関しては未完成です。私の浅はかな考えなので、
たいしたことも書けないけれども、追加もあると思います)
投稿者 nao : 23:32 | コメント (0) | トラックバック
逆境
逆境・・・・
苦しいときにこそ立ち向かわなくてはいけない・・・そう考えてはいるものの、
なかなか打ち勝つことは難しい。少なくとも一度は経験されていることと思う。
それは大なり小なり、感じ方によってもそれぞれ違うかもしれない。不景気が長引き、
自殺者が年々増えているそうだ。自殺する勇気があるのなら・・・死ぬ気でやれば何とか・・・・
ということは確かだが・・・・状況によってはそうはとても思えない・・・そんなことを想像すると、
なんだか気持ちがほんのちょっとわかるような気がした。
自分の死で家族が助かるのなら・・会社が助かるのなら・・・・その思いが強ければ強いほど
自殺の思いはいっそう強くなるのだろう。
その人たちは決して弱いから・・・・なんてことは絶対無いと思う。誰だって「死」は怖いと思う。
そう思う人が穂飛んだだろう。そんな思いをしながらこの世を去っていく残念なこともあるかと思えば、
その逆の人もいる。不公平だな・・・・・なんて思ってみてもそれが世の条理・摂理というものなのか・・・
そんなことを頭に思い巡らしながら、むなしさを感じつつも危機感を募らせあせる自分がここにいる。
まあ、当分の間、せいぜいもがき苦しんでみることにしようと思う。それも人間らしいのかな・・・・・
投稿者 nao : 23:31 | コメント (0) | トラックバック
「E-ビジネスは人間力。」
最新技術が投入される昨今、蔵元でも機械化が進む中、日本酒の醸造行程・色・味は、
杜氏の業・腕にかかっている。また、地ビール工場内のブラウマイスターもしかり
飲む人を納得させるのは、日本酒・地ビールの味わいそのもの。
日本酒・地ビールの近代化が進んでも、伝統に生きる杜氏・ブラウマイスターの人間力こそが、
これからの将来の日本酒・地ビールの更なる力となる。
電子商店も同じ。パソコンや通信など近代化・進化はすれども、根底にあるものは人と人との商い。
心と心のふれあいから始まり、感動へと続く・・・・
だからこそすばらしいのだ。Eビジネスは人間力。
人間の力が最も発揮される通信販売。通信販売が通心販売であり続けるよう、
常に人間力を磨いていたい。
投稿者 nao : 23:30 | コメント (0) | トラックバック
守る
守る・・・・
前進的な言葉ではない、後退的な言葉と受け取りがちだが、(伝統を)守るということに関しては
あながちそうとは言い切れないと思っている。
大量生産・規制緩和など、改革が叫ばれて久しいが、酒で言う蔵元、陶磁器の世界で言う窯元、
工房や様々な業界での職人や関係者は特に維持が難しいと感じる。
(だからといってほかの方が決して楽ではない、同じように難しいと思うことは一緒だ)
どこでも手に入る便利なものは数々生み出されているし、それ自身は大歓迎ではあるが、
そこでしか手に入らないもの、その地域でこそ生まれたものがあるから特産品も生まれ、
伝統も始まる。これまで残っているということは、ちゃんとした理由があるからこそ
残っているはずだ。
ただし、温故知新(昔のことをよく研究し、そこから新しい知識や道理を見つけ出すこと。)
という言葉があるように、それに甘んじてはいけないとは思う。
(新感覚のワイン風の日本酒や、低アルコール日本酒などがそれに当たるのではないかと思う)
時代の流れだから・・・・・・ということだけで伝統を簡単に崩されてはほしくない。
必ず気がつかないところで、しかも身近に恩恵を受けていると思う。
私の場合で言うなら、飛騨高山という地域の伝統や歴史、蔵元の伝統は少なくとも
私や池田酒店に多大な影響を与えてくれていることと思うし、これからもその影響を
受けていくことになろうと思う。この恩恵を受けるということは、様々な人々に
支えられていることでもある、私はそう考えている。そのほんの一握りでもいいから、
その伝統や歴史の足跡を残せたら・・・と思う。逆に、飛騨の地酒や地ビールを
お客様に提供することによって、蔵元にもお客様にも影響を与えることができると思う。
「●●の里」が飲みたかったのに・・・・」「□□の梅が飲みたかったのに・・・・」
こんな言葉は聴きたくないものだ。あなたの好きな酒の蔵元が残るも残らないもあなた次第・・。
造る側も飲む側も守るべきものはきっとある。無くなってから後悔だけは絶対にしたくないものだ。
投稿者 nao : 23:28 | コメント (0) | トラックバック
本当の意味でのもてなしとは?
インターネットで販売させていただいているのと同時に、池田酒店は実店舗がある。
ネットでの配送はもちろん、配達もほとんど私一人で行っている。
飛騨高山という観光地であることから、旅館がとても多く、お客様からの依頼で
届けることもよくある話ではある。宿泊されるお客様とは違い、
届ける場合にはいわゆる「通用門」というところから出入りして品物をお届けすることが
ほとんどだ。これが当然であり、そうしているわけではあるが、なぜかもてなすという意味で、
旅館には表と裏がある・・・と感じざるを得ない部分がある。
酒屋というのはどうも下に見られがちな職業でもあるから、
それを差し引いても、本当のもてなしとは・・・・これいかに。
お客様は、旅館の表部分をみ、きれいな部屋に通されて存分のおもてなしを受け、
十分にくつろぐ・・・・
ここまではいいのだが、私としては、裏の部分を見ているだけに、お客様が満足されて
帰っていかれるのを見ると、なんだかさびしく思えてしまうことがある。
私の場合で当てはめてみれば、お客様同士での区別があってはいけないだろうし、
問屋さんなどの出入り業者の方とも、裏表なくもてなししなくてはいけない、そう思う。
人の振りして吾が振り直せ・・・ではないが、人をもてなす、非常に難しいことと捉えず、
できることからこつこつとやっていきたいものである。
できて当たり前プラスアルファーの、αの部分、これがおもてなしに繋がるのではないのかなと思う。
投稿者 nao : 23:26 | コメント (0) | トラックバック
スローフードについての考察
今、ひそかにスローフードが話題になっている。
さて、そのスローフードとは?
インターネットに携わる私としては、当然のように検索エンジンを駆使して
「スローフード」をキーワードに、ボタンを押す。
「食事くらいはゆっくり食べよう」という指針を掲げており、およそ15年ほど前に
イタリアの小さな町、ブラ(BRA)で始まった運動だそうだが、
現在、日本では、NPO法人の「スローフード協会」が存在し、活動をされているそうだ。
「スローフード」。 ゆっくり食べる・・・・という意味でもあるが、
実は、伝統的な食材や料理を守るということが基本。
日本スローフード協会によると、具体的な活動内容としては、
1. 消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る。
2. 質のよい素材を提供する小生産者を守る。
3. 子供たちを含め、消費者に味の教育を進める。
と言うことだそうだ。つまり、それぞれの食文化を守ろうということになるのである。
その食文化を守るためには・・・・伝統の食品や食習慣を見直し、消えてしまいそうな
農産物を守ると共に、高品質な食品を保護し、普及していこうということ。
私の店は当然ながら酒屋なので、酒について書かせていただくが、酒の歴史は古く、
少なくともひだの酒蔵の古いところでは、創業400年を有する古い蔵もある。
また、日本全国津々浦々探してみると、もっと古い蔵は数多く存在する。
それには数々の歴史と共に米と一緒に今現在の酒となるべくして育まれてきたわけです。
それには杜氏の職人芸を持って育てられてきたわけですが、それがいとも簡単に
なくなってしまったとなるとどうでしょうか?
杜氏をはじめ、蔵人達の歴史もそこで終わることになりますし、
そこに生まれてきた文化もなくなるわけです。
お酒好きの方は、日本酒が消えてなくなるのはいやだと思われることでしょう。
いつの世の中も、日本酒そのものがなくなることはないとは思いますが、
質の高い、本当の意味での日本酒に出会うことは二度となくなってしまう、
そういうこともある可能性はあります。もっと日本酒・酒米・杜氏・蔵人・蔵主・文化を
見直してみてはいかがでしょうか?そうすると、
普段飲んでいる日本酒・ワイン・ビール・焼酎などのものが、また改めて味を
感じることになると思います。スローフードと言う文化を次世代に伝えていく、
そのためにも、蔵元では常日頃からいい物(酒)を造ろうと、米の生産の段階から
深く携わっておられます。努力しておられます。消費者である私たちも、
その気持ちに答え、じっくりと味わい、「物」そのものを見つめなおすと、
また違った捉え方ができるのかもしれません。
投稿者 nao : 23:23 | コメント (0) | トラックバック
酒蔵の杜氏たるもの・・・
杜氏・・・・
それは、酒造りの総責任者・・・・・と現代ではそういう言葉が当てはまるのだろうか・・
どうしても違和感を感じてしまう。蔵元には、もちろん「社長」・「専務」など各役職があって、
会社として成り立っているわけだが、この杜氏とは、もちろん酒造りの総責任者では
あるけれども、当時のさじ加減ひとつで、この蔵元を潰してしまうこともありえる・・・・
社長よりもすごい存在だと私は認識している。
通常、杜氏とその蔵人たちは、酒造り・仕込みのころ(おおよそ秋口)に、
蔵元にやってきて、酒造りに勤しむ。そして酒造りが終わる春には、また故郷へ帰っていく・・・
そして故郷での別の仕事が待っている・・・・といったつくりだけの契約をしている蔵が
ほとんどだろうと思われる。たまたまよく私が顔をのぞかせてもらっている蔵元での杜氏は、
年間契約だそうで、年中蔵元にみえる。酒造りをしていないときは、蔵元の従業員と
同じ作業をされているのだそうだ。
その杜氏とお話をさせていただく機会があり、素朴な疑問から、こだわりなどなど、
2時間ほどお時間を頂き、お話させていただいた。会う前は、どんな厳しい方なのか、
不安でいっぱいだったが、その会話から、いわゆる普通のおっちゃん・・・自分の父親と
歳が近いということもあって、特にそう思ったのかもしれないが、酒造りのお話に関しては、
常に目が鋭いものを持っていた。目がきらりと光るのだ。とたんにオーラを放つのだ。
圧倒される思いを何度となく感じた。言葉ではなく、杜氏そのものが酒に対する
こだわりそのものなのだと私は受け止めた。なかなか当時がいわゆる消費者に、
その姿を見ることはなかなか機会がないが、テレビてたまに蔵元内部での、
つくりの紹介がされていることがあると思うが、じっくりとみて欲しいと思う。
とても厳しいのだ。1分1秒を争う厳しい世界に身を置く杜氏。そんな姿を一度でも見れば、
酒というものを粗末にすることはとてもじゃないができない、私はいつもそう感じながら、
杜氏との話を思い出す。私がこんなことを言うのもおこがましいかもしれないが、
杜氏とは酒造りのプロ。プロの中のプロ。日本語ではそういう人を職人と言う言葉が
当てはまるのだろうか。私はこうしたこだわりの酒を売らせていただけることに対して、
新たに気を引き締めている思いだ。
投稿者 nao : 23:20 | コメント (0) | トラックバック
池田酒店 先代の思い
実は、池田酒店にはこんなスローガン(?)キャッチコピーなるものがあります。
「老人と子供 心のふれあい 大切に」
というものです。
(もっとも老人と子供だけではなく、みんなにも・・・すべての方に・・・・ではありますけども)
先代である私の父が池田酒店開店時につけたものです。
池田酒店は、良く言うと郊外、悪く言えば人通りの無い外れたところにあります。
人通りがないということは店売りも無い、ということで御用聞きが中心でした。
(もちろん今でも同じですが)
インターネットという、一般的に、バーチャルと言われる空間にいる中で、
御用聞きもネットでのメールでのやり取りは同じなんじゃないか、そう思っています。
もちろんやり方は多少異なりますが、本質は同じだと思っています。
確かに顔が見える、見えないはあるかもしれませんが、
「目は口ほどにものを言う」といいますが、「文も顔ほどによくものを表す」と思います。
非常に困った文、うれしかった文、苦情の文、それぞれがお書きになったお客様の思いが
伝わる、顔となるべき文章。御用聞きのときの会話の中でのふれ合い大事にするのと一緒で、
メールでのやりとりではありますが、心のふれあいが大切なんだなとひしひしと感じております。
飛騨高山の郊外、池田酒店へわざわざお越しくださいましたお客様がポツリと一言、
「インターネットも、結局は人と人のつながりなんだよね。これからもよろしく」
そうなんです。酒屋という商売、基本は人と人のつながり。信頼において成り立っています。
もっとも、商売はどの業種でも信頼の上で成り立っており、人と人のつながりで成り立っている、
そうなんです。 インターネットは、よくバーチャルの世界、という表現をしますが、
電話であれ、FAXであれ、インターネットであれ、実店舗での御用聞きであれ、
やっていることは全く一緒、あくまでもそれらのものはそれを相手に伝えるための
道具でしかないんです。
デジタルであろうと、アナログであろうと、人と人のつながりはいつまでも
つながっていたいものですね。
投稿者 nao : 23:18 | コメント (0) | トラックバック
価格について考える
今市場では、いわゆるプレミア清酒という、非常に手に入れるのが困難な清酒が数多くあります。
当店も、お客様からのご注文により、問屋、蔵元に注文をかけるわけですが、
このプレミア清酒との蔵元とは今までお付き合いがありませんでした。
当然ながら、蔵元の連絡先をインターネットで調べ、「お客様からのご注文なのですが、
何とかお分けしていただくことは できませんでしょうか?」
(一字一句あっているわけではありませんのであしからず)
と何度となくお電話をしました。
「お分けすることはできません」
といった意味の答えが当然のように返ってきます。
このプレミア清酒というものは、蔵元の生産量(供給)に対して、お客様(需要)の注文が
上回っていると、こういう言われ方をします。
しかし本当の意味とは?
酒を造っている蔵元では当然ながら酒を造るための設備が必要です。また土地も必要です。
ですので、急に人気が出て売れるようになったとしても、大手の蔵元を除いては、
ほとんどの蔵元が増石できないと思われます。
お酒を造るということは莫大な時間・費用がかかります。
通常「幻の酒」といわれているお酒の場合、蔵元が認めた酒販店に限定してお酒を卸しており、
その店以外では販売されないような流通になっています。
それは、取扱店にすべて卸すにはそれだけすべてのお酒を用意できないということも含まれています。
しかし、「幻の酒」正規に取り扱っている酒屋さんから、お酒を購入し、
別の店に転売するという 「横流し」と呼ばれる闇の流通経路が存在します。
(闇というにはちょっとオーバーかもしれませんが)
メーカー → 問屋 → 小売店 → ブローカー → 小売店 → 消費者
という流通になりますので、これらのお酒は、定価の数倍の価格に跳ね上がります。
標準小売価格が仕入れ価格となれば、当然価格は必然的に高くなります。
当然ながら、仕入先の曖昧な酒屋(小売店・ディスカウントショップなど、
すべてのアルコールを販売するお店を含みます)では、 これらのお酒を
「市場価格」と称して、販売しており、本来の価格など自社に都合の悪いことは一切、
明記していません。
あくまでも暗黙の了解という意味で、他の正規取扱店で無いと手に入りにくいものだから
そこから分けてもらっている、などの理由でこの様な価格で販売しています、ということを
こっそり教えてくれるところはまだいいのですが、 などの理由を明記しお客様の了承を得た上で
販売しているのであれば別ですが、あたかもそれが定価のように装い、
消費者が正しい情報を持たないのを良い事に、この様な商売をしている様では
悪質を言われても仕方がありません。
前置きが長くなりましたが、お客様からのご依頼で、
「とにかくこの酒が欲しい。値段に糸目はつけないから」
という、ありがたい(?)お客様でしたら、私も知り合いの酒屋さんに分けてもらい、
そのお客さまにお渡しすることそのものは、それほど難しい話ではありません。
(ただし、それも銘柄によっては本当に入荷の厳しい難しいものもあります)
どうしてこんなに明らかに普通の酒よりも高いと感じていても、欲しいと思ってしまうのか。
その理由のひとつとして、 蔵元が、この酒は適正だと考える「標準小売価格」が
あまり知られていないからではないか、そう思うことがあります。
いまや、デフレと騒がれている中で、値段が高くなっても売れるもの・・・・
こんな美味しい話は無い・・・・なんてことをお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
標準小売価格2000円の酒を、10000円で売られていたとしたらどうでしょう?
あなたは買いますか?
決して販売している酒屋が悪いというわけではありません。お客様のご依頼とあらば、
なんとしてでも・・・・というお客様のご要望にお答えすることそのものは悪くは無いですからね。
また、その逆にいくらお客様が欲しいといっていても、高い値段で販売しても良いのかどうか?
私は疑問を感じるようになりました。もっと身近に地酒・地ビールがあるにもかかわらず・・・・
値段が高くても、お客様のご要望に素直にお答えすることが、本当の意味でお客様のために
なっているのだろうか?
それよりも、値段やブランドに左右されることなく美味しいと思うものをお勧めしたらいいのか・・・
店主の考え方一つで良くも悪くも取られるとは思いますので断定はしませんが、
標準小売価格がメーカー側で設定されているからにはちゃんとした理由があるのだと
思っているし、また、それだけの価値がある、そう思っております。
ですので、あえて私は、いわゆるプレミア清酒を、値段を度外視した仕入れ方はできません。
それよりも、まだまだ飛騨には伝えなくてはいけない酒がたくさんあります。
通年商品ならまだしも、1日だけの限定品など地元の人間でさえ知られていない酒は
まだまだあるんです。
最後に、お客様のために、値段が高くなってもいいという了解のもと、あえてお客様に
提供するという店主もいるだろうと思うので、その方たちに対してどうこう言うつもりはありません。
その方の立場がもちろんあるのですから。ただ、そういったことをもっとアピールできれば
お客様に対する誤解なども少なくすむのではないか、そう思います。